アメリカ出産当日の体験記。無痛分娩

アメリカで無痛分娩・帝王切開

私は2016春、サンフランシスコの大学病院で第一子を出産しました。

アメリカでは無痛分娩が主流とのことを聞いていましたし、安全で痛くない方法を選択できるのならと無痛分娩を選択しました。

実際に無痛分娩を経験してみて、”無痛分娩”の名前とイメージを改めて欲しいと思いました。“想像を絶する痛み”でした。

痛くて辛い中、しかも英語環境で戦った、長い話です。

事前の検査では私が妊娠性糖尿病の予備軍と言われたことくらいで、母子ともに大きな問題は無く、バースプランでは出来る限り無痛分娩の膣分娩を希望していました。

結局は、出産予定日の翌日から26時間の分娩の末、人口破膜、無痛分娩、人口破水、緊急帝王切開での出産でしたが、元気な男の子が誕生しました。

 

出産予定日から出産と退院の流れ(詳細は下記)

☆16日(水) 出産予定日。

何もなし。

☆17日(木) 人口破幕・陣痛・出血

<朝>  婦人科検診、人工破膜
<夕方> 前駆陣痛
<夜>  陣痛が10分に1回以上になり電話するも、1分間隔になるまでまだ来無くていいと言われる。激痛。
<夜中> 出血、lyft(タクシー)で病院へ、子宮口が開いておらず前室で夜中待つが開かず。激痛で吐く。歩けない。

☆18日(金) 無痛分娩・陣痛促進剤・人口破水

<早朝> 鎮痛剤モルフィンを出すので一旦帰るように言われる。激痛で立つこともままないので懇願して待ってもらう。
<早朝> 激痛で立つこともままないので懇願して朝まで待ってもらう。
<朝>  子宮口の開く兆候が少し進んでいるとのことで分娩室へ。 分娩室にて背中から無痛分娩の為のエピドラル注入(出血から8時間くらい痛みに耐え、ようやく痛みが和らぐ。)
<昼>  陣痛促進剤
<夜>  陣痛促進剤、人口破水
<深夜> 陣痛促進剤

☆19日(土) 緊急帝王切開

<早朝> 感染症やへその緒が首に絡まっているかもしれないリスクがあると言われ緊急帝王切開
<2am> 初めての授乳。朝まで狭い待合室で待機。まま、ぱぱ、あかちゃんだけで過ごすことに。

☆19日〜23日(4泊5日)

5日間入院

 

 

出産予定日当日

何もない日

ついに、出産予定日当日になりました。

赤ちゃんを迎え入れる環境の準備も、入院の準備も、母のアメリカ滞在サポート体制もばっちり。

しかし、赤ちゃんはお腹の中の居心地がいいのかまったく出てくる兆しがありません。

アメリカの産婦人科で出産のために病院に行く旨を連絡する電話のタイミングは、

『破水』『出血』『陣痛の間隔が10分に1度になった場合』

と言われていました。しかし、いつのまにか予定日16日が何事もなく終わりました。

翌日早朝、産婦人科検診の予約があったので受診しました。

 

 

出産予定日翌日の産婦人科検診。陣痛。

17日(木)午前9時

産婦人科の検診に行きました。

 

第一子は予定日よりも遅れるケースは60%と聞いていましたが、初めてのことなのでやはり少し不安になってしまいます。

内診の結果では、まだ子宮口が1cmしか開いていないとのことでした。

そこで陣痛を促進するために人工的に子宮の膜を破る処置 ’人工破膜’ をすることになりました。

処置といっても同意書やしっかりとした説明があるわけでもなく、あっという間に終わります。

内診の椅子の上で、手袋をした看護師さんの指を膣の奥まで強く入れて膜を破ります。悲鳴が上がるほど痛いです。

後からインターネットで調べたら、羊水が少し漏れるので感染症の恐れもあるそうですが、赤ちゃんの頭が下がるので陣痛促進の効果があるそうです。

もしもそれでも陣痛が来なかったら、翌日に誘発分娩をするので、予約を取ってから帰ってくださいと言われました。

誘発分娩の予約は混み合っているようで5日後の予約となりましたが、それより前に産まれてしまってキャンセルが出ることが多いので、空きが出たら連絡がくるとの事でした。

 

17日(木)夕方4時頃

外出時に、いつもと違った激しい陣痛を感じ、すぐ治まりました。今までに感じたことのない程の重たい痛みでした。

ついにきたか、と思いなら早めにホールフーズマーケットから帰宅しました。その後陣痛間隔は縮まり、痛みも強まっていきます。

17日(木)夜10時頃

その日は、出産前にゆっくり大人だけで過ごす最後の晩餐かもしれないと思いながら、グラスフェドエイジドビーフステーキ(牧草牛の熟成牛)を頂きました。

食後、立ち上がれないほどの痛みが20分に1回くらいにおきていました。

だんだん横にならないと辛い痛みを感じるようになり、そしてまた治り、また酷い痛みを感じ、また治り、の間隔が早くなっていきました。

痛い時にはまったく動けない状態までにもなりました。

 

17日(木)夜11時30分頃

気がつくと、本陣痛とみられる痛みが10分間隔に来ていました。

そこで、病院に電話をしました。私はもう既に英語の電話ができるほどの心の余裕が無い程に頻繁に痛みを感じていたので、主人にかけてもらいました。

すると、「陣痛が10分間隔?、まだ病院に来るには早いよ。3分間隔になるか、もしくは出血したらもう一度電話して」と言われました。

まだ待つの〜〜(>_<)と思いつつ、ひたすら痛みに耐えました。

その30分後くらいについに1分間隔になり再び電話をしました。

すると、「陣痛が3分間隔?、まだ病院に来るには早いよ。1分間隔になるか、もしくは出血したらもう一度電話して」と言われました。

いやいやいやまだ待つの〜〜〜(>_<)と思いつつ、ひたすら痛みに耐えました。

もうこれ以上痛くなったらもう立ち上がることもお手洗いもいけなくなってしまう…と思いお手洗いに陣痛の合間をぬって行くと、

かなりの量の出血…

急いで病院に電話をしたところ、ようやく病院に来ていいよとのこと。ようやくかと、ほっとしながらlyft(個人タクシー)を呼びました。

夫と実母と病院に向かいます。

うちから病院は車で最短距離で約5分。しかし時間はもう11時半、呼んだlyftも何故だか10分くらい来ないし、寒気はするし、痛いしで辛い中、陣痛が弱まるタイミングに小股で歩くことがやっとでした。

lyftの優しいおじさんと何を話たかは覚えていませんが、車の中で、「本陣痛って痛いって聞いていたけど、これくらいの痛みだったら生理痛の延長くらいだからなんとか耐えられそう」と話した記憶があります。

その時感じた痛みは今まで感じたことのない最も痛い状況でしたが、後から思うとこの時の痛みは10段階のうち2くらい。知らぬが仏。

車の揺れはすこし辛かったですが、なんとか気をそらそうと、ぼーっとすることによって耐えることができる痛みでした。

病院の駐車場に着くと、さらに痛みが増しました。もう自力で歩くこともできなくなり、寒空の中、外の駐車場にあるベンチから立ち上がれなくなりました。

偶然通りかかった勤務を終えた病院の先生に発見してもらい、車椅子を持ってきてもらいました。

 

 

陣痛開始からの2日目 18日(金)深夜12時頃

病院に着き、産婦人科の階まで車椅子で運ばれると、まず尿検査をするように言われました。

まず、車椅子から立てない,,,。なんとか便座に移って座っても気持ちが悪くて1mmも動けずにズボンも下ろせない。そして検尿が終わってもお手洗いのドアの向こうにある車椅子にまで戻れない。それだけで何分かかったか分かりません。

なんとか車椅子に戻り、分娩室の前室(triage)へ。

そこは介護用のベッドのような椅子になるベッドがひとつと、丸椅子があるだけの小さな部屋。

バースプランを先生に手渡しました。

そこで分娩室に移るかどうかの検査を行いました。

 

検査の結果は、子宮口の開きが1.5cmとの事で(出産には10cm必要)、あと3時間待機して、もしも子宮口が少しでも開いているようだったら分娩に入り、開かないようだったら一旦帰宅するようにと言われました。

アメリカの病院では、英語がわからない人向けに、無料で通訳さんが通訳をしてくれます。出産の場合は日程が読めないので24時間対応の電話通訳で3者間通話をします。

電話で通訳さんと繋げてもらうも、声を出す事ができず日本語も話せない状態でした。

痛すぎて夜ご飯に食べたものを吐き戻してしまいます。人生で初めて痛すぎて吐きました。2回も…。

 

 

18日(金)午前3時

3時間待った結果、子宮口が3cmしか開いていないとの事。鎮痛剤モルフィンを処方するので帰宅するようにと言われます。

立ち上がる事も、話す事も困難だったので帰れないと訴えました。

すると、あと1時間だけ待ってくれる事になりました。

 

 

18日(金)午前4時

子宮口が4cm開いたとの事で、開く兆しがあるとギリギリみなしてもらえて、分娩室全室(トリアージの椅子ベッド)がそのままストレッチャーになりようやく分娩室へ。

ここでバースプランを先生に改めて手渡しました。

分娩室のベッドへは、ストレッチャーを降り自分の足で移動。動く事もままならない中で1メートルの移動がこんなに辛いとは…

そこでは医者が数人おり、無痛分娩である確認と、麻酔か点滴かをいきなり選択させられました

今思えば選択肢を事前に先生に聞いておくべきでした。

余裕がない中でしたが、私は主流な方法ということで『硬膜外麻酔(Epidural)』を選択し、書類にサインをしました。

背骨からの麻酔でようやく痛みが軽減され落ち着きます。

無痛分娩という名前にもかかわらずここまでかなり苦しく、くたくたでした

痛みがしんどかったら、手元にあるナースコールのようなボタンを押してくださいと渡されました。

そのボタンを押すと麻酔が調節されるようです。なるべく麻酔の量が少ないほうが赤ちゃんのためにはいいかと思い私はなるべく押さないように心がけました。

ボタンは押しても赤ちゃんに問題ないとの事だったので何回か押しました。

麻酔のおかげで、麻酔が入ったあとはほとんど痛くなかったです。

18日(金)昼

ここから先は必死すぎて、時間は覚えていません。

あかちゃんが出る兆しがないので、背中の麻酔点滴の中に、陣痛促進剤を入れる事になりました。書類にサインして薬を入れてもらいました。

 

18日(金)夜

陣痛促進剤を追加します。

まだ赤ちゃんが出てこないとの事で人工破水をする事になりました。痛い事はありませんが、下半身に水を感じます。

その後数時間後には熱が出ました。

 

18日(金)深夜

陣痛促進剤を追加します。

この時子宮口は6cmの開きでした。10cmまではまだまだ。

1時間後に子宮口を調べて、開いていたら膣分娩に向けてもう少し様子を見る方向で、変化がなければ帝王切開をしますとの事でした。

また、赤ちゃんの呼吸が安定しないとも言われました。次の検査の1時間後までの間に、赤ちゃんの呼吸が安定しない事があったら帝王切開をしますとも言われました。

 

私は帝王切開をする気はなかったので、強く拒否していました。

なぜなら帝王切開の場合は第二子までしか産めないとの話を聞いた事があったからです。私たちは第三子までを希望しています。

調べた結果、第一子帝王切開の第二子であっても自然分娩が可能な場合も多い事第三子をも儲ける事も可能な事が分かりました。

それでも依然、帝王切開は怖くて嫌でした。そして膣分娩を望んでいました。

 

私が大きく呼吸しているうちは赤ちゃんの心拍は落ち着いていました。

主人は私の手を取って1時間ずっと、大きな呼吸のテンポを取るサポートとして一緒に呼吸をしてくれました。

あかちゃんにそれが伝わったのか、あかちゃんの心拍は1時間正常なまま、無事切り抜けました。

 

 

陣痛開始からの3日目 19日(土)早朝

1時間大きな深呼吸を続け赤ちゃんの心拍は落ち着いていて、なんとか切り抜けました。

しかし、人工破膜、破水をしたので感染症の恐れと、へその緒が首に絡まっているかもしれないリスクがあると言われて半強制的に緊急帝王切開になりました

 

19日(土)朝方2時

ベッドがストレッチャーになり、帝王切開の手術室に運ばれます。

主人は無菌用の帽子や靴カバーなどをつけて部屋に同行してくれます。

1人のみの手術室に同行が可能だったので母は別室で待っていてもらう事になりました。

 

看護婦さんや先生はとても優しい人でした。

人生初めての手術に不安がる私に、先生は安心する言葉をかけてくれました。

帝王切開では、下半身麻酔でした。

先生が私のお腹に麻酔をかけます。麻酔のかかったお腹に針のようなものを当てられて、痛くないかを答えます。意識ははっきりしています。全く痛くもないです。

主人も近くで手を握っていてくれます。

私の格好は、ベッドの上でキリストのように十字架貼り付けのような状態でした。

手術台で寝っ転がった私のお腹のあたりには、下半身が見えないように布で仕切られていました。

手術室は電気が眩しくて、おそらく発熱していたから寒くて寒くて寒くて、その時は意識ははっきりしていたのによく覚えていません。

 

あっという間に赤ちゃんの鳴き声がして、その鳴き声が部屋の向こうの台に運ばれました。

主人が声の方に向かっていき、私は動けないのでまだ見ぬ赤ちゃんの弱弱しくも逞しい鳴き声を聞いて感動しました。

頭の近くに来てくれた看護婦さんに、まずは質問しました。

「おかしなところはない?足と手はある?指はある?」

看護婦さんはすべて普通だと言ってくれました。ほっとしました。

その間に、主人は部屋の隅の赤ちゃんの台でへその緒を切っていたそうです。

先生が赤ちゃんをベッドに貼り付けになって動けない状態の私の頭のところに連れてきてくれました。

小さくて、眩しそうに片目をつぶって、よわよわしくて、かわいいあかちゃんでした。

よく頑張ったね。こんにちは。と初めての言葉をかけてみました。

私は手や体を動かせないので、先生があかちゃんを私の胸にくっつけてくれました。あったかいあかちゃんでした。

 

そしてすぐにあかちゃんはあかちゃん用のストレッチャーに乗せられて、私もストレッチャーのまま運ばれて手術室を出ました。

別室は、病室に入るまでの仮の小さな部屋でした。そこで初めての授乳

あかちゃんは小さなお口でおっぱいを必死で飲もうしていました。

わたしもどうしていいのかわからず、必死で飲ませようとしました。

 

その仮の待合室で、朝まで待機でした。はじめてあかちゃんと過ごす夜。

ちゃんと生きているかな?と気になって何度も何度も何度も生存を確認しに行きました。

あかちゃんが産まれたはのは夜中の2時でしたが、その後は眠ることなんてできませんでした。

19日〜23日(入院4泊5日)

5日間入院。アメリカでは正常分娩なら2泊、帝王切開なら4泊が一般的です。

最初は麻酔の影響で全く動けないので、尿もカテーテルから出します。

2日目頃から徐々に回復するにつれて自分で歩けるようになりました。

 

退院

カリフォルニアではカーシートが無いと退院させてもらえ無い法律になっています。

無事退院し、lyft(タクシー)であかちゃんと我が家へ。

 

 

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